Showing posts with label Family. Show all posts
Showing posts with label Family. Show all posts

Monday, May 23, 2011

ランプの宿

先々週末、母の三回忌でした。法事の後、急な山道はすっぽり雲の中で、まったく見通しのきかない恐怖のドライブをして、兄弟でランプの宿として有名な青荷温泉に泊まりました。電気なし、テレビなし、携帯の電波は届かず節電生活の見本で、温泉に入り飲み明かす一夜でした。

We, my brothers and me stayed at a hot spa in after a memorial service for Mother on May 14th. The place was located among montains, had no electronics service, nor the radio wave for mibile phone. We only spent on taking bath in spa and drinking. It was so relaxing time for me after the March disaster.















ところで華々しく開通した新青森までの東北新幹線ですが、私的にはがっかりでした。七戸十和田から新青森まではずっとトンネルでまるで地下鉄、景色はまるで見えませんし、到着した新青森駅はまるで空港ビルのようにポツンと駅ビルがあるだけという風情のなさでした。旧青森の街はこのまますたれるのでしょうか。私の生まれ育った野辺地など、地図にも載らなくなりました。東京から時間的に早く着くようになったことで、青森に何かいいことがあることを期待したいです。

Saturday, June 26, 2010

もう一つ進行中 Another Project in Progress

あっちをやったりこっちをやったりみたいですが(実際にあっちこっち同時進行でやっています)、もう一つ今完成させようと思っている壁かけです。見覚えのあるブロックが並んでいると思いますが、昨年母が亡くなったとき海外の友人がお悔やみに送ってくれたものです。本当は一周忌前に終わらせたかったのですが、忙しくて予定が遅れました。

Here's another project I am working on now. As you see it's a consolation heart wall hanging. I wanted to complete it before May. But I was too busy then.



数が合わないので前にモーリーンと個人的に交換したときに届いたこのハートも使うことにしました。
I have got this heart of Maureen is from personal swap, not as condolence. But I love it so much I would like to use it here.




左下の隅には自分でもう一つ作ることにしました。それが終わったら仕上げに入ろうと思います。ハートを送ってくれた友人たちそして母に早く見せて上げたいと思っています。

I am making this heart myself to fill the place. I hope to finish embellishing it and complete this project as soon as possible. I would like to show the completed one to my CQ friends and Mother.

Thursday, September 24, 2009

北帰行 Where I was born and raised

連休の間に中学校の同窓会がありました。私が生まれ育ったのは本州の最北端の青森県の町で、昔は南部藩の商港として栄えたこともありますが今は人口僅か1万2千人の活気があるとはいえない町です。父はこの町の出身ではないのですが、戦後すぐから私が高校を卒業するまでこの町で小さな医院を開いていました。

ここは下北半島に向かう乗り換え地点で交通の要所なのですが、駅から町の中心に向かうのはこんな何もない通りです。はるか向こう端を国道が通っています。明治に鉄道を通すとき町のはずれに駅を作ったのが時代に取り残される一因だったのでしょう。

I had a reunion from my junior high school days this Tuesday. I was born and raised in a small coast town of north end prefecture of Japanese main island. My parents left this town for their home town when I was eighteen. So it's very rare for me to visit here but I feel always happy if I have got a chance to visit this place to see old friends still living around the town.



町を縦断する東京と青森を結ぶ旧国道は、下町(したまち)、本町(ほんまち)、新町(しんまち)と名前を変えながら両側に商店が並んでいますが、こんな荒物屋がまだありました。今はもう歴史的存在ではないでしょうか?
This shop might be a kind of historical monument today.



駅から来て本町右手に学校や役場があります。この道は私が小学校に通うときに一番使った通学路でした。今は民家の間に飲み屋が混在していますが、何とも面白い北の酒場通りだと思いませんか?

The street I used to walk to my elementary school.




小学校は校舎は新しくなりましたが、昔と同じ場所にあります。グランドから続く愛宕山という裏山があり、私たちには教室の一部でした。図工の時間は写生に行き、理科の時間はきのこや植物を採りに、体育のときはマラソンし、上の広場で学級会を開き、運動会のときは草の上でござを敷いて見物している親とお弁当を食べ、冬は学校のスキー大会もありました。

A hill besides the school. It was a part of our classroom then.



上からは陸奥湾に臨む町の全景が見えます。
The whole view of the town and bay.




本町を逆の左に入ると、昔、代官所があったので城内(じょうない)の名前が残る一角です。中学校は最初は海に近いわりと近代的な校舎でしたが、途中で代官所跡の敷地に建つ当時でも半分は危険立入り禁止になっていた、明治の古い校舎に移りました。今は新しい公民館に建てかえられています。

古い体育館横の石垣の下はバレーボールのコートに使っていました。ボールがこの林の斜面を越えて下の川の方まで転がっていくので、男子の人たちはいつも拾いに行っていました。今木立の間から見える景色には住宅がかたまっていますが、昔は川に沿って一面田んぼ、遠くの線路を蒸気機関車が煙をはいて走っていく向こうに八甲田連邦に連なる烏帽子岳がそびえていました。アメリカのモーゼスおばあさんの絵を見たとき、そっくりの景色だと思ったものです。

A view looking beyond from this point of my old junior high school was just like one of Grandmother Moses's paintings; a river flowing in green fields, a steam engine far across and etc.




人が住んでいるのかいないのか、こんな家も残っていました。この二軒はそれぞれ向かい合わせに建っています。小学校のとき友だちの家族が離れ屋に住んでいたので、庭に入って遊んだこともあります。

There were still old houses I remember.





本町を直角に折れて新町になります。私たちはこの通りに住んでいました。映画館があった場所が広い空き地になっています。昔、角は産婆さんの家、それから畳屋さんでした。その隣の中学校の音楽の先生の家も今は空き地。私たちの住んでいた場所はお店になり、でもその隣の自転車屋さんは今も健在のようです。

We lived on this street. There used to be a film theater at the empty place.




子供のときは海も山も川もあり、馬や牛や山羊やアヒルもいっぱい近所にいて、その日の気分で何でもあり、飽きることがありませんでした。八幡様の境内、学校の敷地、友だちの家の庭、近所の納屋、屋根の上さえ遊び場所で、楽しかったなあと思います。今も自然はいっぱいですが、方々に空き地が目立ち、田舎の疲弊が感じられます。今度訪れるときにはどうなっているのでしょう?

There were lots of things amusing a child; sea, hills, river, mountains, animals, yards. Everything was close to us. I was never bored. I had a very lucky childhood.
But as you see, it's a bit sad to see my home town looks to be so quiet and left behind the days now.


Monday, September 07, 2009

写真展 A Photo Exhibition

昨日の日曜日、日帰りで東京に行き、息子の写真展を見てきました。浦安市の国際センターのロビーにこじんまりと展示されていました。さまざまな国の紹介の一環として、昨年5月にイエメンに旅行したときの写真を利用してもらえたのです。彼はカメラのレンズを開発する会社で働いていますが、レンズを通して見た世界を写真に撮ることも生き甲斐です。

I had a day trip to Tokyo yesterday. I went to see my son's photo exhibition. He is working at a camera lens campany but it seems for him to see the world through lens to take photo is more important than making lens. Lol. Those photos are from his travel to Yemen.



案内はがきの左上に使っている、夕立に会い壁に手をかけて体を支えている老婆の後姿の写真はあるコンテストで賞をもらったものです。他にも二点コンテスト受賞作品があります。

There are a few photos which won prizes in some contests.


小さな手作りの写真集です。親バカのようですが、彼の写真はなかなか魅力があると思っています。古い歴史を感じさせる風景の中に今日も続く人々の日常生活の息づかいが感じられて、想像力を喚起されます。異国の風景の中の人たちも自分たちと同じように働き、社交し、笑っているのを見ると、時間や空間を越えた人間の生活の営みにちょっと感動します。

He has made a small book. I love his photos very much for we can see ordinary peoples daily lives in historical and exotic view in them. They are very imaginative. It's a bit moving to see people live, work, smile, play, talk as usual and as ever in any place.



Tuesday, June 30, 2009

My Class for Rehabilitation Years ago

母の荷物を整理していたら、昔、リハビリにと思って一緒に作ったものがいろいろ出てきました。もう布を縫い合わせるということはできませんでしたので、私が布を接いで作ったブロックに、母がへリングボーンやボタンホールでシームステッチをかけ、私がまた最後にそれを形に仕上げるという作業でした。

I found some cqs in my mother's room. I remember those days when I was trying to help her rehabilitation, working together. I did all of piecing and finishing work. She did seam stitches with herringbone, straight and buttonhole stitches, though it's not easy for her already.

大体、どれも二枚ペアで作ってあります。グリーンのクロス。ほこりよけのカバーに。
I usually pieced a pair of naked blocks



刺繍を入れてあげたら喜びました。
She was very glad with my daisy.



これも2枚作りました。



ストレートステッチも乱れがちですが、それでも何とかボタンホールができています。



ランチョンマットに。



ブロックを4枚つないだクッションです。針に糸を通すこともできなくなっていたので、私が何色かボタン付け糸を針に通して用意しておいたものを順に使っていましたから、突然途中でステッチの色が変わります。



時々針をどういう方向に出したらいいのかわからなくなるのか、針目が乱れます。
I can see from her untidy stitches she was sometimes lost how to move the needle.






選んだ布のありったけの端切れで、クレージーキルトの小さなブロックを接いでおくと、揃わないなりにもせっせとステッチをかけてくれて、それをつないだテーブルセンターです。



この後、細い針と糸を持つことはできなくなり、次のリハビリプログラムは編み物でした。太い毛糸でガーター編みの30センチ角の正方形を一緒に編み、ベビー毛布ほどの大きなひざ掛けになりました。それが母の最後の手仕事でした。
It was getting harder and harder for her to handle a sewing needle and thread. After a few months I advised her to do knitting with fat yarn. She knitted several squares, which I conbined into a warm ket. It was her last craft work.

Sunday, May 17, 2009

母の日 Mother's Day

今日、ハートを作りました。
I've just made this heart so quickly.




真ん中に使ったのはプチポアンの刺繍モチーフです。
The center motif is a tent stitched one.



この刺繍モチーフはこういう形で届いた電報からはずしました。弔電です。先週私たちに届いたものの一つです。
It's from this condolence telegram, which is one of many we recieved last week.



5月10日の深夜、正確には11日になりますが、2月10日から入院していた母が亡くなりました。昨年の11月から肺炎を繰り返し、その都度ほとんど奇跡的に回復してきたのですが、もう治療を施されるのが嫌になっていたのかもしれません。前日の夕方、私が訪れたときには落ち着いた状態だったのですが、夜中に看護婦さんが巡回したときには呼吸が止まっていたそうです。誰もいないスキを狙って旅立つことにしたのでしょう。『母の日』の深夜だったなあ、と思います。

In the midnight of May 11, my mother passed away in hospital, where she had been staying since February 10. She had overcome pneumonia four times while then but finally seemed to decide to put off her body after my last visiting on Mother's Day.

この一週間、慌ただしく過ごしました。病院まで片道40分のドライブという毎日の日課が急になくなり、何だか茫洋とした気分です。

I had busy days last week. Before then driving to the hospital to see her and returning home was my daily routine. It took me three hours everyday. I wonder how to fill the empty schedule I have got suddenly now.

Monday, April 06, 2009

卒業 Graduation

三月、四月は卒業と新たな出発の季節です。我が家でも、長い学生生活を終えた息子が北の小さな都市に旅立ってゆきました。とんでもない時間にメシと言い、リビングでばかり勉強する人間がいなくなり、私には数年ぶりに一人の自由な時間と空間が戻ってきましたので、たまっている未完成品を仕上げていこうと深呼吸をしているところです。

March is a graduating month in Japan. We starts new term in April. After a long college life, my son I was feeding has finally left home to work as a resident in a north hospital. Now I have got back my time and space fo my CQ.

母の卒業アルバムのこのページもずっと手付かずでしたが、何とか終わらせました。しかしこの写真の撮られた卒業式は実は3月ではなく、昭和16年の12月でした。直前に日本軍による真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まり、卒業は慌ただしく繰り上げられ、母もそのまま松本女子師範に教師として赴任しました。緊張した面持ちは卒業という自分の人生の節目というだけでなく、時代への危機感もあったのでしょう。

I've finished this page of Mother's albumn. The photo was taken when she graduated from college. But it was not March but December of previous year, 1941. Japanese military had attacked the Pearl Harbor and the war had begun. The graduation was moved up and she went to be a teacher in Matsumoto, Nagano. She must have been strained by changes of her own life and the period.



あまり年の違わないお姉さん先生であった母を、当時の教え子だった方たちは今も懐かしんでお便りをくれます。先生も生徒もいまや80歳をとうに越えています。母は最初の授業のとき、黒板にまず「若きが故に尊し」という言葉を書いたと、誰かがと教えてくれました。時代が暗い方向に向かい始めたときこそ、若い可能性を大切にということだったのでしょうか?

She was very young then and her students were just like her younger sisters. They loved their young teacher so much and still writes to her. One of them taught me that she wrote on the blackboard "Youth should be respected." at her first lesson. I don't know if it was her small protest and message for that dark time.



次のページを用意しました。これは女学校の入学式ではないかと思います。これもいつものように、ゆっくり仕上げることになるでしょう。
I've prepared another page. She must be a high school student then.

Tuesday, October 28, 2008

母の布アルバム2頁目 Mother's Albumn/ 2nd page

母の写真を使った布のアルバムを作り始め、最初にお見せしたのは7月初めのことでした。2枚目のブロックを覚えていらっしゃるでしょうか?ずいぶんとゆっくりの仕事でしたが、ようやく作り終えました。

Do you remember my last post of my mother's fabric albumn?
I've been so slow but finally finished the second page.

これが仕上がったものです。
Here's the completed one.



写真部分のアップです。
Close-up.



ブロックを作っておけば少しずつでも進みますので、3枚目を準備しました。母が23歳、大学卒業時の写真だと思います。
This is the third block I've pieced.I think this photo was taken at the graduation of college when Mother was 23 years old.

Friday, July 04, 2008

母の布アルバム My fiber book pages/ Mother's albumn

母の写真を使ったブロックが一枚できあがりました。これはつないで壁かけにするより、一枚ずつが一ページの布の本、この場合はアルバムにしようと思っています。どういうふうに仕立てるかはまだ手探り状態です。
I've finished this block, though I still wonder how to complete to make a page of fiber book.
この写真は母が20歳前後の東京での学生時代のものでしょう。
I guess this photo was taken when my mother was around twenty. She was a college student in Tokyo then.



次のブロックを作りました。
This is another naked block I am going to work from now.


今度も手刺繍以外の飾り物をまず決めました。


大正12年、入学記念の書き込みがあります。この年、母は3歳ですので、中心の一番幼い女の子が母、母の3年年長の叔母(おそらく左端の肩掛けカバンを提げている女の子)の小学校入学の記念写真だったのでしょう。
Mother must be the youngest in middle. She was three year old then.

Thursday, June 12, 2008

Stitchin' Fingers/ My first trial for "Fiber Books"

5月にオーストラリアのシャロン・ボゴンの呼びかけで、ネット上に布と針を愛する世界中の手芸家が集まる新しいグループ、”Stitchin’ Fingers”が生まれ、私も誘われるままに参加しました。今一つ、自分のものになっていない部分がありますが、これまで知っている人たちに加え、今まで知らなかった魅力的な作品を作る人々にも出会え、それなりに刺激になっています。サークル的なものが複数あり、もちろん『クレージーキルト』と『刺繍』にはすぐ入りましたが、他に、『布の本』と『フリースタイルのクロシェ』などのサークルに入りました。前から興味はありましたが、何となく先送りにしていたものです。
In May, Sharon Boggon started a new online group "Stitchin' Fingers" and I am a member now. I've joined some small groups there; "Crazy Quilting", "Hand Embroidery", "Fiber Books", "Scrumbles" and "Links and Tutorials".

というわけで、これはその『布の本』を作ってみたいと思って始めたものです。ブロックは昨年のスワップシスター、エリザベスからもらった布で、そのときはクレージーキルトでしようと思って作ったのですが、方針転換しました。母の若いときの写真を使ってあります。
I've started my fiber book with this naked block I made from Elizabeth's baggie last year. The print shows my mother in her youth.



どういう作り方をしたらいいのか手探り状態ですが、ボリュームのある装飾をしてみたいと思い、クレージーとは逆に、大きな飾りの方から置いてみました。これからステッチに入ります。
I had no idea where to start. I put big dimentional embellishments first, opposite to the usual CQ process.



昨年、母の写真を見たアヤコさんがハイネの「君は花のごとくに」の詩を思い出したと書いてくれましたので、その詩の冒頭を刺しました。
I stitched a line of Heinrich Heine's poem.