Thursday, September 24, 2009

北帰行 Where I was born and raised

連休の間に中学校の同窓会がありました。私が生まれ育ったのは本州の最北端の青森県の町で、昔は南部藩の商港として栄えたこともありますが今は人口僅か1万2千人の活気があるとはいえない町です。父はこの町の出身ではないのですが、戦後すぐから私が高校を卒業するまでこの町で小さな医院を開いていました。

ここは下北半島に向かう乗り換え地点で交通の要所なのですが、駅から町の中心に向かうのはこんな何もない通りです。はるか向こう端を国道が通っています。明治に鉄道を通すとき町のはずれに駅を作ったのが時代に取り残される一因だったのでしょう。

I had a reunion from my junior high school days this Tuesday. I was born and raised in a small coast town of north end prefecture of Japanese main island. My parents left this town for their home town when I was eighteen. So it's very rare for me to visit here but I feel always happy if I have got a chance to visit this place to see old friends still living around the town.



町を縦断する東京と青森を結ぶ旧国道は、下町(したまち)、本町(ほんまち)、新町(しんまち)と名前を変えながら両側に商店が並んでいますが、こんな荒物屋がまだありました。今はもう歴史的存在ではないでしょうか?
This shop might be a kind of historical monument today.



駅から来て本町右手に学校や役場があります。この道は私が小学校に通うときに一番使った通学路でした。今は民家の間に飲み屋が混在していますが、何とも面白い北の酒場通りだと思いませんか?

The street I used to walk to my elementary school.




小学校は校舎は新しくなりましたが、昔と同じ場所にあります。グランドから続く愛宕山という裏山があり、私たちには教室の一部でした。図工の時間は写生に行き、理科の時間はきのこや植物を採りに、体育のときはマラソンし、上の広場で学級会を開き、運動会のときは草の上でござを敷いて見物している親とお弁当を食べ、冬は学校のスキー大会もありました。

A hill besides the school. It was a part of our classroom then.



上からは陸奥湾に臨む町の全景が見えます。
The whole view of the town and bay.




本町を逆の左に入ると、昔、代官所があったので城内(じょうない)の名前が残る一角です。中学校は最初は海に近いわりと近代的な校舎でしたが、途中で代官所跡の敷地に建つ当時でも半分は危険立入り禁止になっていた、明治の古い校舎に移りました。今は新しい公民館に建てかえられています。

古い体育館横の石垣の下はバレーボールのコートに使っていました。ボールがこの林の斜面を越えて下の川の方まで転がっていくので、男子の人たちはいつも拾いに行っていました。今木立の間から見える景色には住宅がかたまっていますが、昔は川に沿って一面田んぼ、遠くの線路を蒸気機関車が煙をはいて走っていく向こうに八甲田連邦に連なる烏帽子岳がそびえていました。アメリカのモーゼスおばあさんの絵を見たとき、そっくりの景色だと思ったものです。

A view looking beyond from this point of my old junior high school was just like one of Grandmother Moses's paintings; a river flowing in green fields, a steam engine far across and etc.




人が住んでいるのかいないのか、こんな家も残っていました。この二軒はそれぞれ向かい合わせに建っています。小学校のとき友だちの家族が離れ屋に住んでいたので、庭に入って遊んだこともあります。

There were still old houses I remember.





本町を直角に折れて新町になります。私たちはこの通りに住んでいました。映画館があった場所が広い空き地になっています。昔、角は産婆さんの家、それから畳屋さんでした。その隣の中学校の音楽の先生の家も今は空き地。私たちの住んでいた場所はお店になり、でもその隣の自転車屋さんは今も健在のようです。

We lived on this street. There used to be a film theater at the empty place.




子供のときは海も山も川もあり、馬や牛や山羊やアヒルもいっぱい近所にいて、その日の気分で何でもあり、飽きることがありませんでした。八幡様の境内、学校の敷地、友だちの家の庭、近所の納屋、屋根の上さえ遊び場所で、楽しかったなあと思います。今も自然はいっぱいですが、方々に空き地が目立ち、田舎の疲弊が感じられます。今度訪れるときにはどうなっているのでしょう?

There were lots of things amusing a child; sea, hills, river, mountains, animals, yards. Everything was close to us. I was never bored. I had a very lucky childhood.
But as you see, it's a bit sad to see my home town looks to be so quiet and left behind the days now.


2 comments:

Shawkl said...

Yes, although we can't go back to our childhood...we can still enjoy the memories. Thanks for sharing a few of your own with us. Kathy

Cathy said...

Thank you for sharing your beautiful childhood memories and charming area. Hugs, Cathy